『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語、検証してみようの「戦わずして勝つ〈英雄列伝〉」
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戦わずして勝つ〈英雄列伝〉
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2013年08月15日 08:12
  高皇産霊/経津主  神功皇后/磐余彦(神武天皇)/日本武尊
孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するが善の善なるものなり」
〈敵と戦わずして、敵兵を屈服させるのが最善の策だ。それ故、戦う際のねらいどころは、
敵国または敵軍のはかりごとを未然に砕き、敵の戦意を喪失させることにある〉
 
 邪馬台国時代の指導者たちが競って神国・常世づくりに奮闘したことは、間違いのないところだ。結果は、皮肉にも国を二分するほどの争いに陥ったが、実のところは、五帝期の神国や、呉・越・周・韓を祖国とする人らが、中国や天竺の神仙観・儒教・仏教・バラモン教の良いところ取りをしつつ新たな国のかたちを模索したものであり、その狙いは部族間のしきたりや宗教観の違いから起こる対立を一気に消し去り、同じ価値観・同じ心のあり方・同じ生活の決まりを共有できる国に転換し、あわせて孫子の兵法極意、即ち「戦わずして勝つ」・「刃に血ぬらずして敵を従える」まで叶えてみせるところにあった。
 その秘訣は、十握剣・天日槍・天叢雲剣が放つ神威にあった。これは、高皇産霊/経津主による葦原中つ国の平定、神功皇后/磐余彦(神武天皇)/日本武尊による新羅征伐・東征・北伐の説話からも、はっきりと見て取れる。
 高天の原と組んだ出雲勢も、天日槍子孫の新羅王も、邪馬台国から追放された東北の蝦夷(火明の一派)も、祭器の神威が目に焼きついていた故、即座にひれ伏したのである。
 このように、十握剣・天日槍・天叢雲剣には、水戸黄門のかざす葵紋の印籠をはるかに凌ぐ神威が宿っていた。

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