■2014年10月の書き込み
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2014年10月26日(日) 
‥‥天孫→饒速日、天火明(彦火明、共に天鹿児山の児)、火瓊瓊杵の三人が存在
火明→天火明(彦火明)、火明饒速日(火瓊瓊杵の児、火照、火明、海幸彦)の二人存在
大倭に向かった天神の御子と天孫→1忍穂耳、2饒速日、3忍穂耳、4火瓊瓊杵、5火明饒速日
①記紀や『先代旧事本紀』を丹念に調べると、饒速日、天火明、火瓊瓊杵の天孫三人がいたとわかる。饒速日と天火明は、火天神天鹿児山の腹違いの児として誕生し、のちに忍穂耳の養子に押し込まれて天孫となった。それぞれが天璽や宝物を賜った上で、東や南に天降ったのである。
ここで、天神の御子や天孫の降臨に

閲覧数325 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/26 06:52
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2014年10月25日(土) 
‥‥その後の大己貴→日隅宮に引きこもって、高殿の火天神の神皇産霊・天鹿児山らを祭祀
彦火明の妃選び(縁結び)に奔走し、三輪大物主の家督相続を拝命
③その後、経津主と武甕槌は津々浦々まで駆け巡って残敵を平らげると、大己貴を連れて高千穂宮に凱旋した。そこでの二人は、日神と高皇産霊に日矛・日の鏡など日隈神宝、それに日の像の鏡を奉ってから、葦原中つ国平定のてん末を事細かに奏上していた。その奏上中に、日神は大己貴の国譲り時の言動を耳にするや、そっけなく命じた。
「大己貴は天照大神の家系に入るのです」
ところが、隣の高皇産霊は彼の望みも叶えて

閲覧数336 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/25 06:43
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2014年10月24日(金) 
‥‥大己貴(大国主)の国譲り→天神の御子に国譲りする誓約は、玉虫色
高皇産霊→孫子の兵法極意を達成
①武甕槌はこの言葉を聞くなり美保岬に使いを遣り、力ずくで八重事代主を連れ戻してきた。そして、大己貴の時と同様に荒々しい文句を八重事代主にぶっつけた。すると、八重事代主はいとも簡単に応じてきた。
「恐(かしこ)し。この国は天つ神の御子に立奉(たてまつ)らむ」
この時の武甕槌は、葦原中つ国が天神の御子・忍穂耳に譲られるものとばかり思っていた。それでも念のためと思って、「ほかに、意見を言う者はおるのか」と大己貴に問うた。すると、彼は答えた

閲覧数354 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/24 06:41
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2014年10月23日(木) 
③ついで十握剣も天(水)軍も授けようとしたところ、人からの推薦を待ち望んでいた天之尾羽張神の孫・武甕槌(たけみかづち、記では、建御雷)が我慢できなくなって立ち上がるなり、大声でわめき出した。
「十握剣を奉じてこの任務が全うできるのは、天之国の威光を背負った自分以外に居ないではないか。かつて、天之国は豊葦原中つ国と一緒になって伊都国を打ちのめし、古巣の吉野ヶ里に押し戻した。
その際、伊都国王はひれ伏して命乞いまでしたし、豊葦原中つ国も伊都国も日隈も、倭奴国王朝と十握剣に末代まで服すると誓った。その言葉でもって、皆は今日までのうのう

閲覧数311 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/23 07:00
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2014年10月22日(水) 
‥‥武甕槌が葦原中つ国に派遣された理由→天之国の威光を一身に背負い、しかも高天の原と日神を守り抜く気概に満ちた武将だったこと
葦原中つ国平定の時期→二一〇年代が終わろうとする頃
①忍穂耳一行が瀬戸内海を通過しようとすると、大己貴の水軍があっちこっちから邪魔してきた。忍穂耳がほうほうの体で高千穂に戻ってきたことで、日神夫婦は血を流すことなく葦原中つ国を譲らせる手立てはないものかと思案し続けた。しかし、これといった妙策は浮かばなかった。
そこで、高皇産霊は高天の原に臣下全てを集めて、
「かつて、豊葦原中つ国は伊都国王朝開祖の天叢雲に対

閲覧数306 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/22 06:43
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2014年10月21日(火) 
‥‥饒速日の降臨→二一○年代前半
②こうして、饒速日は日神夫妻から瑞宝十種とともに、火天神の御子と印す天鹿児弓・羽羽矢を賜ったのち、天児屋(中臣氏の祖)・太玉(高皇産霊の養子、斎部氏の祖)・天鈿女(太玉の娘、高皇産霊の養女)・石凝姥(鏡造りの祖)・玉屋(玉造りの祖)ら三十二人の近従、さらに天津真浦(あまつまら、物部氏の祖)・天津物部二十五部族を引き連れながら大倭へ天降った。
その後の天孫は、河内国哮峯(いかるがみね)に降臨して大和国鳥見の白庭山に遷座すると、長スネ彦の妹・御炊屋(みかしや)姫を娶った。彼は姫との間に男子が生まれた

閲覧数320 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/21 06:54
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2014年10月20日(月) 
‥‥高皇産霊、高天の原に現る→天照大神が高皇産霊と称して高千穂宮に赴き、妻の日神を補佐
葦原中つ国平定の大義→遼東勢や呉の侵攻に備えた防衛体制づくり
①二一○年代初め、騎馬軍団をごっそり手にした大己貴は、大物主の陣営だけを狙って攻め立てた。畿内の豊葦原水穂国が豊葦原中つ国と袂を分かち、大物主にすり寄ったからだ。防戦一方の大物主は負け戦が続いたあまり、大己貴を心底憎むようになった。日神も、大己貴に豊葦原中つ国の建て直しや国譲りを妨害されたことで、怒り心頭に達していた。
内憂外患は、葦原中つ国や新羅だけに止まらなかった。北の公孫氏や

閲覧数297 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/20 06:57
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2014年10月20日(月) 
‥‥忍穂耳と天孫饒速日の降臨→最初に忍穂耳、ついで天孫となった饒速日(初代垂仁)が日向から大倭に向けて降臨
①そこで、日神夫妻は倭奴国王朝の再現が直ぐに叶うと見たのか、忍穂耳に大倭降臨を詔した。
「東方の豊葦原の千秋長五百秋(ちあきながいほあき)水穂国と豊葦原水穂国は、実り豊かな国です。吾が児の忍穂耳が天降って治めなさい」
忍穂耳が万幡豊秋津(よろづはたとよあきづ)姫(栲幡千千姫を襲名、思金の妹)を妃に娶って天降り準備を整えたところで、天孫が人目を避ける形で誕生した。
そうとも知らずに、高皇産霊はこの夫婦に火天神の長子(天鹿児山と

閲覧数344 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/20 06:43
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2014年10月19日(日) 
『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え54〈高皇産霊、高天の原に現る〉~61〈天孫〉の編集が完了しました。それぞれの題目と概要は、以下の通りです。

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え54〈高皇産霊、高天の原に現る〉
‥‥高皇産霊、高天の原に現る→天照大神が高皇産霊と称して高千穂宮に赴き、妻の日神を補佐
葦原中つ国平定の大義→遼東勢や呉の侵攻に備えた防衛体制づくり

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え55〈忍穂耳・天孫饒速日の降臨〉1
‥‥忍穂耳と天孫饒速日の降臨→最初に忍穂耳、ついで天孫となった饒速日(初代垂仁)が日向から大倭に

閲覧数309 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/19 07:21
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2014年10月17日(金) 
‥‥天日槍(五十猛)の来襲→赤壁の戦い(二○八年)から二年あまり経った頃、播磨の宍粟邑で大己貴と争って惨敗
①その後も、大己貴の勢いは止まなかった。安芸・吉備・丹波に出兵したかと思うと、次に播磨の伊和・小千族を丸め込んだ。ついで越のオロチと盟約して北から邪馬台国を攻め立てた。
彼は配下の家長を片っ端から兼ねて、大国主・オロチ・葦原醜男・伊和大神と語っていた。これで、大穴持(大己貴)と名のる人物も二人居て、この時期の歴史を煩雑にした。
当時、大己貴は素戔嗚の目論む豊葦原中つ国建て直しを邪魔したことで、天日槍の襲来に備えねばならぬ立

閲覧数341 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/10/17 06:44
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