■2014年11月の書き込み
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2014年11月30日(日) 
『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え78〈ヒミコの朝貢〉1~88〈邪馬台国と狗奴国の和睦〉の編集が完了しました。それぞれの題目と概要は、以下の通りです。

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え78〈ヒミコの朝貢〉1
‥‥〈朝貢に備えた人事〉太夫の大己貴→卿待遇の兵主 大夫待遇の天日槍→大夫の射楯神
卿で兵主の素戔嗚→牛頭天王、つまり仏教の守護神を兼ねる天王と大兵主に昇進
〈牛頭天王〉牛頭→仏陀ゴータマ(仏教の守護神)  天王→天皇に並び立つ位

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え79〈当時の大陸情勢〉1

『邪馬台三国志』古代史の常識

閲覧数317 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/30 06:41
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2014年11月28日(金) 
‥‥火瓊瓊杵の皇子・火折(火遠)→垂仁皇子の誉津別、
垂仁皇子の誉津別→火瓊瓊杵の皇子・火折(火遠、火火出見)
竹取物語は、日葉酢姫ら五姉妹→五人の公達に、顔の醜い竹野姫→絶世の美女かぐや姫に、月の国と呼ばれた大日本(大倭)国→月の都に置き換えられて創作
①女王ヒミコは、例え垂仁の嫡子であってもその母親が謀反人に与したとあっては、誉津別に天下の政を任せるわけにはいかなかった。そこで、天火明と火瓊瓊杵に命じた。
「両家の嫡子は相手の家に養子入りして、家の絆を揺るぎないものとせよ」
その結果、火瓊瓊杵嫡子の火折が大倭に移って誉津別と語

閲覧数418 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/28 06:48
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2014年11月27日(木) 
‥‥垂仁皇子の誉津別→誕生説話から推して、火火出見
兄の狭穂彦→狭穂姫の許婚
狭穂彦と狭穂姫→火火出見が日向に天降る際、生まれ替わった風をして随伴
①もう一人の天孫・天火明は、日子坐王の娘・狭穂(さほ)姫に婿入りして丹後・尾張の両海部家を継いだが、常時は都に住みついたままで、離れることはなかった。そのため、丹後は日子坐王に、尾張は実子の天香山(香具土や香来雷をもじって襲名)に任せきっていた。
②二二○年代中頃、狭穂姫との間に嫡男の誉津別(ほむつわけ、記では本牟智和気)が生まれた。こちらも、男の子だった。この顛末について、知っておこ

閲覧数455 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/27 07:02
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2014年11月26日(水) 
‥‥火瓊瓊杵の三皇子・火照・火スセリ・火遠→火祭りの中で誕生し、火天神の家系に移籍
①火瓊瓊杵は笠沙宮に戻ると、直ちに吹上宮を引き払って日向の妻(西都市)に遷都し、そこも笠沙宮とも西都とも呼んでいた。早く言うと、彼は外戚の女神大山衹神から引き離され、海神やワニ族の目の届きやすい場所に移されたわけだ。
②暫らくすると、木花開耶姫が火瓊瓊杵の所にやって来て尋ねた。
「私はあなたの児を身ごもり、早や産み月を迎えました。詔によれば、天神につながる御子をこっそり産み育てるわけには参りません。いかが致しましょう」
火瓊瓊杵は、この言葉を不審に

閲覧数363 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/26 07:24
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2014年11月25日(火) 
‥‥日子が蛭子(ひるこ)、蛭子(えびす)と呼ばれて商売繁盛の神とされるのは、なぜか。
なぜ、八重事代主も商売繁盛の神なのか。
巨大化の一途をたどった近畿・東海の銅鐸が山中に埋められたのは、なぜか。いつの頃か。
①都には、仏教や神仙の道場も建てられていた。「倭人伝」にある楼観は、道教で言う布教所にあたるという。
さらに、定期的に市も開かれた。日子(蛭児)は市の繁栄に奮闘努力したことで、商売繁盛の神として称えられた。では、なぜ日子は蛭子(ひるこ)と書き改められ、しかも蛭子(えびす)と呼ばれたのか。なぜ天(厳)之事代主も八重事代主も商売

閲覧数295 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/25 06:54
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2014年11月24日(月) 
‥‥豪族たちに八咫鏡を配布→自身の御霊として拝ませる。
④その後のヒミコは、大物主と大己貴の言に耳を傾けることが多くなった。果てには、「夫の掲げてきた神国・常世づくりを仕上げてみせよう」と言い切るまでになった。これに満悦した両人は、
「この際、火瓊瓊杵の祭器を取り上げてしまおう」という欲まで出していた。
この状況下で、新しい祭祀の形、つまりヒミコの手による先祖祭祀が図られた。
何ヶ月かすると、特使が火瓊瓊杵の許にやって来て、こう告げた。
一、女王は、檜御柱・十握剣・天叢雲剣でもって、夫の御霊を日の神・高皇産霊として、ついで水の神・

閲覧数396 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/24 06:57
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2014年11月23日(日) 
‥‥「夫婿なく、男弟ありて佐けて国を治む」→入り婿の天照大神に先立たれた日神は、纏向の上之宮に遷って女王ヒミコに即位
男弟〓素戔嗚→卿に昇って兵主に、大己貴→太夫となって射楯(いだて)の神に就任
邪馬台国→オロチの厳之国王朝から天(厳)王朝に衣替え
①二二〇年代前半、都づくりが進むにつれて、奈良盆地に住む人たちが移住し始めた。大物主や大己貴も新都に移った。二人はこれを契機に、天火明を倭王に立てる想いに駆られていた。それには、天叢雲剣を手にして祭祀権を確保しておく必要があった。
その最中に、天照大神が俄かに逝った。日神は花の窟近くで

閲覧数372 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/23 07:14
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2014年11月22日(土) 
‥‥天御舎(みあらか)/日隅宮・杵築大社・出雲大社→天御舎は、月神・火天神・火神を奉る高殿
熊野櫛御気野と大穴持を祀った日隅宮→高殿を奉る斎宮
杵築大社(〓日隅宮)→高殿が平安期に倒壊すると、出雲大社に発展
①国学者の本居宣長が「玉勝間」で紹介した金輪造営図に、平安時代の高殿が描かれている。それは丸太三本を金属の輪で束ねた柱九本を田の字形に配置した平面図で、高殿の高さは十六丈(約四十八㍍)、階段長さは一町もあったとされる。
☆天穂日末裔の千家家には、平安期の高殿を描いた金輪造営図の原本が伝わる。言い伝えでは、本殿の高さは現在の二倍

閲覧数305 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/22 07:19
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2014年11月21日(金) 
『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え71〈天御舎/日隅宮・杵築大社・出雲大社〉~77〈皇子の交換〉の編集が完了しました。それぞれの題目と概要は、以下の通りです。

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え71〈天御舎/日隅宮・杵築大社・出雲大社〉
‥‥天御舎(みあらか)/日隅宮・杵築大社・出雲大社→天御舎は、月神・火天神・火神を奉る高殿
熊野櫛御気野と大穴持を祀った日隅宮→高殿を奉る斎宮
杵築大社(〓日隅宮)→高殿が平安期に倒壊すると、出雲大社に発展

『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え72〈女王ヒミコ〉1
‥‥「夫婿なく、男弟ありて

閲覧数275 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/21 07:00
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2014年11月19日(水) 
‥‥五十猛(天日槍)→紀伊秋月で、出雲日隈を熊野家本家として再興
結局、日隈は日前鏡を奉る日前(熊襲)、日矛を祀る紀伊熊野家(熊)の二家が並立
③それまでの纏向の都は、西は石塚古墳辺りから東は巻向駅周辺にかけての一帯、つまり庄内式土器の遺構が多数出る東田・太田・巻野内西部に限られたが、このたびの新都造営によって、勝山古墳・東田大塚古墳・箸墓古墳、珠城山・穴師をすっぽり包み込むほどに広がった。
上之宮と呼ばれた彼女の宮殿も、上ツ道沿いの辻・巻野内(巻向駅のすぐ北)辺りに築かれた。
暫くすると、丹後に滞在する日神と素戔嗚も、宮津を発っ

閲覧数280 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/11/19 07:04
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