■2014年8月の書き込み
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2014年08月30日(土) 
‥‥『後漢書』「本紀」・「倭伝」の倭奴国→倭国+中つ国。金印の委奴国→委奴(いつ)国と読めば伊都国。委奴(いど)国と読めば伊都国+豊葦原中つ国。
⑤『漢書』「地理志」、「楽浪海中に東夷(倭人)あり、分たれて百余国となり、歳時を以て来たり、献じ見ゆ」にある東夷が、志賀島の金印とどのような関係にあったのか、これも見過ごせない。「地理志」のこの記述について、大方の見方は、
「当時、都市規模の小国が百余国も乱立していて、統一国家などなかった」とするが、この説はすこぶる疑問だ。
⑥そもそも、倭や倭奴国の国のかたちについては、米づくりの始ま

閲覧数368 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/30 07:11
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2014年08月29日(金) 
‥‥『後漢書』「本紀」・「倭伝」の倭奴国→金印の委奴国や倭の奴国ではない。
◆金印「漢委奴国王」の訓み→委奴(いつ)国と読めば伊都国。委奴(いど)国と読めば伊都国+中つ国
『後漢書』「本紀」・「倭伝」の倭奴国→倭国+豊葦原中つ国
①倭奴国は、金印「漢委奴国王」で広く知られている。『後漢書』に、こうもある。
「倭伝」、「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝貢す。倭国の極南界にあり。光武、賜うに印綬を以ってす」
☆これは、志賀島出土の金印「漢委奴国王」によって確認された。
★これからすると、倭奴国王〓委奴国王と思われがちだが、そうとは言

閲覧数346 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/29 06:59
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2014年08月28日(木) 
‥‥天→天(太陽)を奉る天之国(倭国の盟主)。地→火神・オロチ・地の神を崇拝する豊葦原中つ国〓奴国。天地→倭国+豊葦原中つ国〓倭奴国
①天地開闢の記述は、記紀などにもある。いずれも天地(あめつち)とある。
『古事記』、「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は天之御中主。次に高御産巣日神。・・」
『日本書紀』、「古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき、・・故、天先ず成りて地後に定る。然して後に、神聖、その中に生まれます。故曰わく、開闢くる初に洲壌の浮かれ漂えること、たとえば游魚の水上に浮けるがごとし。・・」
『古語拾遺』、「開闢(

閲覧数272 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/28 07:00
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2014年08月27日(水) 
‥‥須玖岡本遺跡・三雲南小路遺跡→伊都国の王墓。井原鑓溝遺跡→倭奴国の王墓
①豊葦原中つ国王朝から伊都国王朝に至る間も、時の王が他界するとその亡骸は都近くに葬られてきた。糸島平野や福岡平野には、伊都国王の墓らしき御陵が二つ見つかっている。
一つは、明治三二年に須玖岡本(春日市)の巨大な支石墓直下から発見された甕棺だ。そこから、前漢期の草葉文鏡(前二世紀後半)・星雲文鏡鏡(前一世紀前半)など三十数面、細形銅矛四・中細銅矛一、中細銅戈一、細形・中細銅剣二以上、さらにガラス璧・ガラス勾玉・管玉などが出た。出土した草葉文鏡は径二十三㌢余

閲覧数385 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/27 06:54
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2014年08月26日(火) 
‥‥水穂(瑞穂)国→水神族が火神の王を担ぐ国〓水火(みづほ)の国
天(厳)は、天之国が厳之国を抱き込んだ国だ。前者は日の神を祀って鉄器づくりに精通する太伯子孫が呉や楚の水神族を取り込んだ国だ。ここに言う厳之国は、炎帝(神農)の教えを守って青銅器づくり・弓矢の術に長ける楚の火神族が、越や楚のオロチ族・長江流域のワニ族ら水神族と一体になった国だった。かつての厳之国王朝が装いを新たにしたと思えばわかりやすい。
これら天(厳)を支える家長の中には、自身の名に天の字を冠して天照神と名のる者もいた。時には、天(水)や厳(水)が海(あめ)と

閲覧数392 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/26 06:41
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2014年08月25日(月) 
‥‥倭奴国王朝→倭国+豊葦原中つ国。「奴」は奴(な)と読めば中つ国、奴(ど)と読めば后土国〓月夜見国、闇見国、黄泉国

Ⅶ①一世紀前半、豊葦原中つ国と盟約した倭国は、伊都国王朝を打倒して古巣の吉野ヶ里に押し戻すや、天地からなる倭奴国王朝を糸島平野に打ち立てた。以後、天之国の女帝が日天神に昇って天地に君臨し、その婿養子となる豊葦原中つ国王が倭奴国王に昇って王朝を取り仕切った。
②ここに至った経緯は、こうらしい。
紀元前後になると、天之国がまたも勢力を盛り返してきた。この時期の伊都国王朝は、儒教による現実政治と神国づくりをごちゃ混ぜにして

閲覧数348 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/25 07:05
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2014年08月24日(日) 

‥‥伊都国王朝→吉野ヶ里の越オロチ族。吉野ヶ里から福岡平野に進出し、糸島平野の怡土に都す。豊葦原中つ国は、出雲に追い払われた。
③この三国は、豊葦原水穂国を淀川下流域に封じる一方、奈良盆地に豊秋瑞穂(水穂)国を策封して、副都月の都(唐古)の統治に当たらせた。そうする中で、太子が豊秋水穂国王も兼ねつつ、東方一円を治める国体に移行していた。
豊国も配下の海部家を国東から尾張にごっそり移し替えたり、その分家を丹後に封じるなどして副都の両脇を固め、生まれも育ちも豊国の王を担がせるべく画策してきた。
④その後の豊葦原中つ国王朝は、天之国本

閲覧数394 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/24 07:30
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2014年08月23日(土) 
‥‥豊葦原中つ国王朝→豊国(漢一門)+葦原家(厳一門、越オロチ族)+中つ国
⑧大倭家が出雲を去った後の前二世紀前半だろうか、漢朝内部で跡目争いが起こり、これに関わった漢の王族が倭に流れて来た。時の倭王は、主の居なくなった国東に豊(とよ)なる国を立てて彼らを迎えると、厳(水)系の海部家や在郷の太氏一門も添えて新たな王家を立てさせた。
当然、豊国は漢族の中から王を立て、神聖動物も漢にならって亀と定めた。さらに高祖にあやかって火神を尊んできた。
☆漢の高祖(劉邦)が生まれ育ったのは、楚の沛県豊邑だ。劉邦は秦打倒を決意して沛公に就くや真

閲覧数349 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/23 07:18
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2014年08月22日(金) 
‥‥倭国王朝→天(厳)之国+日高国(戦国七雄・韓の一門)〓高天
Ⅳ①前二二○年頃、秦に敗れた韓勢(周一族)が大挙渡来して、天之国ともども厳之国王朝を倒し、周政治を称える倭国王朝を興した。
『史記』、「韓の歴史を遡ると、その公室の先祖は周と同じく姫氏を姓とした。前七世紀中頃、これにつながる韓武子が晋(周分家)の献帝に仕えて韓原(陜西省)に封じられ、三代後の韓厥が封地にちなんで韓氏と語り始めた」
②厳本家はというと、宗像地方や遠賀川流域に閉じこもって謹慎していたが、いつしか天之国にすり寄って行って、天之国一門として立ち回っていた。

閲覧数358 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/22 06:46
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2014年08月21日(木) 

‥‥厳之国王朝→越のオロチ族〓越王勾践の子孫、夏后帝小康庶子の末裔オロチ族2
③その後、越オロチ族は、天之国が散々苦労して切り開いた曲り田・菜畑などの水田をことごとく没収するや、その面積を拡大して収穫増を図ったり、板付などの湿地帯を開墾するなどして越流米づくりに励んでいた。やがて国のかたちが整ってくると、厳之国と称しながらオロチを祖霊の再来として崇める先祖祭祀に入れ込んでいた。
彼らは天之国や中つ国の住民らに生命の安全や生活の糧を保証する代わりに、手足のごとくこき使ってあちこちに水田を切り開く一方、瀬戸内沿岸・四国・山陰に大軍を

閲覧数326 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/21 07:02
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