■2015年1月の書き込み
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2015年01月30日(金) 
⑥それというのも、これまで高皇産霊の霊光を期待して戦ってきたが、厳(水)一門に対しては効き目が今一つだったからだ。そもそも高皇産霊と語るには、初代の高皇産霊が豊葦原中つ国王朝に担ぎ出された際の儀礼を踏襲しておくのが古来の決まりだった。
その手間を省いたことで霊光がないと悟った彼は、今度こそ高皇産霊に成り代わって兵法極意の下で日本を倒し、然る後に郊祭して日神夫妻を皇祖皇宗としてお祀りしたいと強く念じていた。そのため、決戦を目前にしながら、ここまで足を運んできたのだ。
そのお告げがあったのか、彼は一計をを授かったとして臣下らに命じた

閲覧数289 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/30 07:02
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2015年01月29日(木) 
③武角身と八咫烏らが東征軍の先頭に立って吉野川上流(川上村)にやって来ると、ヤナ漁を仕掛けている人らに出くわした。磐余彦はその男に向かって、
「私は天神の御子だ。この行列は十握剣を奉祭しながら都に向かっておるところだ。お前は誰か」
と誰何した。すると相手は、
「私は天照大神に仕えた者の子孫で、この地域を治める贄持(にえもつ)の子です」
と答えて十握剣にひれ伏すなり、帰順を申し出てきた。そこから少し行った所で、今度は天之尾羽張神一門と思しき尾飾りをつけた人が泉の脇から出てきた。彼も「お前は誰か」と問われると、
「私は天照大神に仕えた

閲覧数304 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/29 06:41
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2015年01月28日(水) 
‥‥十握剣を奉って北上→高皇産霊・天照大神の行列と語りつつ、日本に進攻
三毛入野・稲飯・天香語山→伊勢・志摩をくまなく平定
尾飾りをつけた人→天之尾羽張神一門  土雲→土の神を崇める雲師(中つ国系の将兵)
日前鏡・日矛を再度秋月に奉納→日隈・日前の再興成就。つまり日前神宮の始まり
①南海道の海沿いをことごとく制圧した東征軍は、二手に分かれて熊野山中に分け入り、熊らの残党を追尾して回った。一軍は那智から大雲取山・小雲取山を越え、そこから本宮を通って十津川村に出た。もう一軍は新宮から熊野川・北山川を遡り、さらに玉置山を越えて十津川村へ

閲覧数388 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/28 06:47
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2015年01月27日(火) 
‥‥神倉山の祭祀→熊野家再興を成就し、伊奘諾夫妻と熊野櫛御気野親子を祖霊として祭祀
那智大滝の下で天香語山が火天神、八咫烏が大穴持(天照大神)を祭祀→那智の火祭り
①天香語山と八咫烏らが周辺に潜む熊ら残党を一掃すると、磐余彦は神倉山に再度登って十握剣を捧げ持ち、戦勝報告とともにお礼の言葉を申し述べていた。
「経津主や高皇産霊の霊光によって素戔嗚一門を討ち果たし、さらにオロチ退治の仇まで取ることができました。これより後は、十握剣を高皇産霊御魂として称えるとともに、熊野では伊奘諾夫妻と熊野櫛御気野(豊受皇太神)親子第一の祭祀をとり行

閲覧数317 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/27 07:12
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2015年01月26日(月) 
④翌朝、夢からさめた天香語山は、手許に届いた十握剣を眺めている内に、なぜか恨みが込み上げて来て、これまで先祖に対して義理の欠き通しだったと思い知った。彼は先祖に深く詫びる気持で、
「わが先祖の天照大神と天鹿児山は、素戔嗚の手勢に踏みつぶされた。大己貴の日隅家も、素戔嗚・五十猛率いる熊らに乗っ取られた。わが先祖は素戔嗚一門に遭遇して以来、悲運の見舞われ通しだ。思い起こせば、先祖から託された私の責務は、その恨みを晴らすことにあった。今、その時がやって来たのだ」
と誓うや、直ちに八咫烏らを率いて敵討ちに乗り出した。一方の熊らは、
「偽

閲覧数266 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/26 07:24
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2015年01月25日(日) 
‥‥熊の不意打ち→熊野でも兵法極意の達成に挑んだが、またも失敗
高倉下の熊退治→天香語山(天鹿児山襲名)が素戔嗚親子を祖霊と仰ぐ熊族を退治した実話。つまり八俣の大蛇退治の仇討ち
高倉下→天香語山
①その後に事態が急変した。事の次第を知った熊らが、磐余彦の仕打ちに怒ったのだ。熊らは口々に、
「先だっての磐余彦は降伏の礼に則り、素戔嗚御霊を返納する素振りまで見せて日矛を差し出した。と同時に、八咫鏡をヒミコの御霊のごとく奉納したが、日矛は既に豊受皇太神御魂にすり替わっていて、日前鏡もヒミコに突き返したまでと嘯いている始末だ。
しかも神功

閲覧数285 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/25 07:05
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2015年01月24日(土) 
③時が経って、ヒミコの権力を継いだ饒速日は、
「融通の利かない熊と烏が大喧嘩をおっ始めると、互いに味方を募って相手を倒しにかかる。ほっておくと、日本王朝を根底から揺るがす事態になりかねない」
と憂慮して、両者の押え込みにかかった。そこで、彼が考えついた方策は、こうだった。
一、東海道都督の天香語山(かごやま、饒速日の児)が南海道と東山道の国境に割って入って、調停に当たる。
一、天香語山が熊の食いぶち米を一手に管理することで、喧嘩の根を断ち切る。
こうして、天香語山は熊野神邑に高倉(高床倉庫)を並べ建てて、高倉下(たかくらじ、高倉の

閲覧数280 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/24 06:42
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2015年01月23日(金) 
‥‥熊野神邑での熊と八咫烏の反目→南海道・東海道の所領争い
神邑の統治→熊から切り離して天香語山・八咫烏に移し、抱き込みを図る。
①暫くすると、大倭から繰り出してきた敵の大軍が和歌浦に駆けつけたが、そこはもぬけの殻だった。その頃、磐余彦の船団は潮岬沖を回って熊野村の西端、神邑(みわむら、那智)の聖地へ急いでいた。同じ頃、御坊に引き下がっていた神功軍・武甕雷軍・騎馬軍団は、陣中に日矛を高々と掲げながら、
「熊らが祖霊(日矛)を踏み倒してでも押し通るなら、熊野櫛御気野に代わって成敗してくれる」
と自信たっぷりに待ち構えていた。
この数

閲覧数305 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/23 07:23
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2015年01月22日(木) 
‥‥紀伊秋月に日前鏡・日矛を奉納→日隈・日前再興のお膳立て
①河内湖を脱した東征軍は、大阪湾に出て南の茅渟海(ちぬのうみ、和泉沖)をひたすら南下した。その途中で、磐余彦は天道根(子孫)を紀伊秋月に走らせ、熊らに大事を伝えさせた。
「天神の御子が、日矛と日前鏡を奉納するため、秋月に立ち寄る。熊らはそこに立派な祭場を設けて、お迎えするように」
数日後、船団は男の水門(和歌山市)と呼ばれる和歌浦湊に着いた。当時、南海道の都があった秋月では、素戔嗚と大屋彦(五十猛)が熊野家祖霊として祀られていた。磐余彦がそこの祭場に足を運ぶと、熊の主だ

閲覧数345 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/22 06:53
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2015年01月21日(水) 
⑤そうこうする内に、大阪湾の南と北から幾筋もの狼煙が立ち上った。磐余彦と五瀬は、
「本軍も直ちに出陣する」との合図を送らせるとともに、陣払いを急がせた。その間、二人はここまで水先案内を勤めてきた椎根津彦の栄誉を称え、先祖に対しても戦勝を祈願していた。
御影(神戸市灘区)の浜辺から一斉に漕ぎ出した本軍は、難波の泊沖を通過して、河内湖東端の白肩津(東大阪市)に到った。そこは河内の日下(ひのもと)勢が本拠とした草香(くさか、日下)邑で、饒速日の降臨地だった。
磐余彦と五瀬は兵を上陸させて軍を整えると、隊列の先頭に錦の御旗を高々と掲げさ

閲覧数282 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/01/21 07:10
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