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2020年06月09日(火) 
長年携わってきた『邪馬台三国志』の執筆活動や人生経験を拠り所に、引きこもりながらにして六根清浄や智慧を会得できる神術はないものかと思案し続けた結果、漸くのこと執着や煩悩を解脱して悟りを開き?、以下のブログにまとめ上げる決意に到った次第です。
先ずは、仏教でいう六根清浄、智慧など宗教の根幹を形作ってきたところを知っておきたい。
〔六根清浄〕身体を形成する五感の目根、耳根、鼻根、舌根、身根、及び第六感の意識を司る意根を加えた六根が憎悪・我欲などの執着にまみれておれば、正しい道を歩むことはできぬ。
法華経の経典によると、受持・読書・暗唱・解説・書経に精進すれば、目の功徳(物事が正しく見える)、耳の功徳(はっきりと真意がわかる)、鼻の功徳(香りをかぎ分けられる)、舌の功徳(食事をおいしく感じる。言葉で人を感動させる)、身の功徳(清らかな身になり、美しく健康的になる)、意の功徳(清らかな心になり、人々が大勢訪ねてくる)が得られるという。
後世、登山者たちが金剛杖をつきながら霊山に登る際、「六根清浄、六根清浄」と唱え出すのは、六根の罪の懺悔を説く「観普賢菩薩行法経」の経典に基づくらしい。
〔智慧〕広辞林を引くと、「智慧は仏教用語にして、空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し、判断する能力」とある。
仏教の根幹は因果の道理、即ち「善いたねをまけば、幸せな運命に出会う。悪いたねをまけば、不幸や災難に見舞われる。自分のまいたたねは、自分で刈り取らねばならぬ」にあるという。
因果の道理の行き着くところも、結局は「悪行を悔い改め、善行に精進せよ」との教えにある。
俗に言う、知恵出でて大偽りあり(老子)、よい知恵が浮かばぬ、悪知恵を働かす、知恵を絞るなどの語は、処世術や相手を欺く策略を意味しており、仏教における智慧に相当しない。
釈迦は正しく生きるために、布施(親切)、持戒(言行一致)、忍辱(忍耐)、精進(努力)、禅定(反省)、智慧(修養)の善行を説いてきた。この反対語は、けち、約束を破る、短期、なまくら、妬み・恨みが該当する。言うまでもなく、騙す、はったりを言う、嘘をつき通す、嘘で塗り固める、悪口を言いふらす、讒言して陥れる、はぐらかすなどは、悪行の極めつきだ。
〔儒教の徳と仁〕孔子は、五帝期の堯・舜や、周の文王・武王・周公による治世を理想と捉えて、人の守るべき五つの徳目を仁・義・礼・智・信に大別して大系化し、徳に基づく王道政治を主張し、武力に頼る覇道を批判してきた。
仁は己に克ち、他をいつくしみ、いたわる心、道徳とは物事の善悪・正邪を判断して正しく行動する規範を言った。江戸時代に流行る「医は仁術なり」は、医者が病人を治療する心構えについて、仁徳を施す行為になぞらえた言葉である。
〔ゾロアスター教の善と悪〕古代ペルシャのアーリア人は、ミトラ多神教などの宗教を信奉してきた。頭に角を生やした女神ミトラは、友情・契約を司る太陽神として人気が高かったらしい。
前一二〇〇~前六〇〇年頃、ゾロアスターがミトラ教を足掛かりにして世界最古の一神教を創設した。彼の説くところでは、最高神アフラ-マズダ(善の神)は、宇宙を創造してこの世の善すなわち光を生み出したとし、宇宙のあらゆる現象は光と闇、善と悪の対立抗争に根ざしていて、光の神は暗黒の神と激しい抗争を繰り返すが、終末に救世主が現れ出て最後の審判を下すとする。この考えの下で、光の象徴としての火を尊んできた。それ故、拝火教と呼ばれてきた。
その教義は、ユダヤ教やキリスト教に大きな影響を及ぼした。
つまるところ、どの宗教も物事の善悪・正邪を判断して正しく振舞うこと、善行に邁進すること、徳と慈悲の心を持つことで、人としての正しい生き方が身につくと説いてきたのだ。
とりあえず小生も普段着姿で、六根清浄と座右の銘を唱えつつ、結界に建つと思しき鳥居内の神の道を除けつつ、聖地を訪れたいと思う。六根清浄と智慧の源流は、ここにあると信じたい。
          六根清浄 六根清浄   真実一路の旅なれど、真実鈴振り思い出す

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