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2020年07月07日(火) 
①湖西線高島駅から南に降ると、比良・志賀・蓬莱・和邇、比叡山坂本・大津京など古代にちなむ駅名が連なっている。比良は海神族と思しき比良明神、志賀は志賀海神社や安曇氏、蓬莱は海神・大山祇神との因縁が深い。和邇は海神配下の鰐族末裔だ。志賀の真西には、蓬莱山がそびえており、比叡山坂本は日吉大社の鎮座地、大津京は天智天皇が近江大津宮を開いた処である。
振り返ると、富士山・熊野山・熱田神宮の地がかつて蓬莱山、蓬莱郷と呼ばれたごとく、比良山系東麓の比良・志賀・蓬莱・和邇の地も、饗庭野の熊野山、安曇(あど)川流域、嶽山北麓一帯も、南麓の白髭神社辺りも、かつては神仙の輩たちが薬草を採取したり、不老不死を試すなどした聖地だった可能性が高い。加えて、安曇川の名が志賀海神社を司祭する安曇氏に由来すると思しきことから、こう確信するに至った。(ちなみに、安はパルティア国、曇はインド僧の意)
「往古、志賀島の海神一門がここに大挙乗り込んできて蓬莱郷づくりの聖地に見立てるや、北に安曇氏、南に鰐族を配置して守備を固める一方、神仙の国・蓬莱郷づくりに入れ込んできた」
〔白髭神社〕(高島市鵜川)、祭神は猿田彦命、亦の名は白鬚明神(延命長寿の神)、比良明神(比良山の神)。全国に百数十社ある白髭神社の総本社で、その大多数が小社である。
②白髭神社の祭祀形態や謡曲白髭から推して、天竺から飛来する御仁が仏法や山王信仰をこの地で流布した史実が垣間見える。この経緯は、謡曲白髭の筋書に巧妙に織り込まれている。
〔謡曲白髭〕、「白髭大明神縁起」や「比叡山縁起」をたたき台にして創られた能の謡である。
《のどかな春の日、ときの帝が夢のお告げに従い、勅使を白髭神社に向かわせた。勅使が白髭の宮に着くと、湖岸で釣り糸を垂れている老翁がいた。翁は白髭明神の縁起を語り始めた。
「釈迦が都率天(この世に生まれる前の兜率天)に居た頃、仏法流布の聖地を求めて俗界を南から北へと飛行していると、波の声が一葉の蘆に凝り固まって島となった所が目にとまった。
この島が大宮権現(日吉大社)の橋殿(宮前の板橋)です。
釈迦は入滅後、姿を変えて再びその島に飛来すると、比叡山の麓、滋賀の浦あたりで釣り糸を垂れている翁と若者がいた。
釈迦は、『翁よ、この地の主ならば、この山を譲ってくれないか。仏法結界の地としたいのだ』と告げた。すると翁は、『自分は六千年前からこの地の主として、湖の移り変わりを眺めてきた老人です。仏法の聖地と化したならば、私の釣り場が無くなるので困る』と言って拒んだ。
釈迦が落胆して寂光土(天台宗の浄土)に帰ろうとしたところ、東から薬師如来が現れ、
『釈迦よ、この山で仏法を開くべし。自分は二万年前からこの地の主でいるが、翁はそのことを未だ知らないのです。必ず、彼に譲らせます。自分もこの山の主となり、ともに仏法を保護しましょう』と誓約して、釈迦と薬師如来の二仏は東と西に去って行った」
勅使がこの話に驚嘆して釣り人の翁に名を尋ねたところ、『自分こそ、琵琶湖の主、明神である。勅使を慰めに来ました』と明かした上で、『もうすぐ天女と龍神がやって来る故、しばし待つように』と言って、神社の玉の扉を押し開き、社壇に入って行った。
夜が更けた頃、社壇の中から白髭明神が姿を現し、勅使のためにと舞楽を演奏し始めた。
暫くすると、空から天燈を持った天女が、湖水からは龍燈を持った龍神が現れ出て優雅な舞いを演じ、夜明けとともに去っていった》
③謡曲の趣旨は、神仙の国・蓬莱郷づくりに励んできた白髭明神が仏法流布を切望する釈迦に聖地を明け渡すことにある。その聖地は三輪山から大己貴神を勧請した比叡山の日吉大社ではない。
文献上での仏教伝来は六世紀前半とされるが、それ以前に南伝仏教を持ち込んだ御仁の影が見え隠れする。山王権現も熊野権現もそうだ。文献に一途に執着することなく、心にその意を悟って、 
      六根清浄 六根清浄   真実一路の旅なれど、真実鈴振り思い出す

閲覧数26 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2020/07/07 06:35
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