2014年08月03日(日) 
⑩一八四年、中国で内乱が勃発した。この時、伊奘諾は政権転覆を口にする東の賊徒を平らげるべく淡路島遷都を押し進める裏で、豊受皇太神を太子から外し、実子の日子(蛭子)に置き換えようと動いていた。
対する皇太神は大倭厳・三輪氏・豊葦原瑞穂国・海部家らと組んで、播磨や摂津で戦いを挑んできた。
 出雲での天下分け目の決戦で、皇太神が大勝して越オロチ族系の厳之国王朝(邪馬台国)を樹立し、纒向(桜井市)に都を開いた。天照大神とも語った彼は、天叢雲剣(中細銅剣)をかざして蛇神を奉りながら、伊都国以北から東海に至る国をことごとくなびかせていた。

⑪その後、天照大神は妻に負けまいと天叢雲剣を天璽に格上げし、厳之国王朝の水天神に昇った。尾張海部家を継ぐ実子の天羽羽も天鹿児山と語って火天神に立ち、天鹿児弓・羽羽矢を天璽と定めた。この天神親子も黄帝流神国づくりや天竺風常世づくりに邁進した。
一方、日向に落ちのびた伊奘諾は向津姫と共に高千穂宮に閉じ込められたが、そこで天之国王朝を興して向津姫を倭王の天照大御神に、ついで現人神の日神に祭りあげた。臣下たちも真経津鏡(八咫鏡、三角縁神獣鏡)を鋳造して、日神の天璽として仰いだ。日神はこの高千穂宮を天宮に見立てつつ神国づくりに勤しんでいた。この天下の入れ替わりが倭国大乱だ。

⑫一九○年代前半、オロチの天神親子は出雲の山中で、豊葦原中つ国建て直しをもくろむ素戔嗚に襲われた。天鹿児山は絶命し、天照大神も負傷した。だが、素戔嗚の大望はついえてしまった。
大己貴(素戔嗚の児)が田心姫ら宗像家皇女を担いで葦原中つ国を再建し、ついで播磨伊和族ともども邪馬台国に迫る勢力となったからだ。
二○八年、呉は赤壁で魏に大勝した。二年後、天日槍(熊野クス日、素戔嗚の養子)が新羅軍八千と共に妻の姫(田心姫の養女)を追って襲来し、(兵庫県一宮町)で妻をかくまう大己貴に襲いかかったが、大敗して兵を奪われた。甲兵八千を手にした大己貴は、北陸の越オロチ族と謀って北と西から邪馬台国を執拗に攻め立てた。
二一○年過ぎ、呉軍襲来にやきもきする高千穂宮の皆は、次の点で意見が一致した。
「この国を南蛮勢から守るには、大己貴を説得して天神の御子に国譲りさせた上で、全軍の指揮を一本化せねばならぬ。先ずは高千穂宮に司令部を設置して、天照大神にお出まし願おう」
渡りに船と見た天照大神は妻とヨリを戻して高千穂宮に赴くや、高皇産霊の名と十握剣を手にして天之国王朝の守護に回った。代わって、天孫となった饒速日(火天神の児)が大倭に降臨したが、一年足らずで逝ってしまった。数年後、高皇産霊は戦わずして大己貴に葦原中つ国を譲らせ、孫子の兵法極意も遂げた。

閲覧数307 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/03 08:50
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
takataysさん
[一言]
古代史研究家
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み