2014年08月03日(日) 

日神(天照大御神)は、いつ頃の人物なのか。これを知るには、高千穂宮で鋳込まれた八咫鏡を追跡することだ。結論から言うと、伊勢神宮の神鏡や神璽を調べなくとも、鏡作神社の奉る三角縁神獣鏡、及び東之宮古墳出土の三角縁神獣鏡から確定できるのである。

日神は素戔嗚らの乱暴な振舞いに、とうとう我慢ならなくなった。彼女は天石窟に駆け込むや、その戸を固く閉ざしたままで外に一歩も出て来なかった。そのため政の決済が滞り、皆は困り果てた。重臣らは連日、高天の原に集って対策を練ったが、会議は堂々巡りを繰り返していた。やがて、素戔嗚に同調していた者らが日神の采配を望むようになると、会議の様子も一変した。皆は心を一つにして解決策を模索し、次の結論に至ったからだ。
「思兼が知恵を絞って妙策を立て、皆がそれに従おう」
そこで、倭鍛師の天津真浦の指導の下で、白銅(ますみ)の八咫鏡を鋳造することになった。最初にできた鏡はいささか気に入らなかったが、次に鋳込んだ八咫鏡は寸分の狂いもなくでき上がった。
☆『古語拾遺』、「思金神の議(はかりごと)に従いて石凝姥神をして日の像(みかた)の鏡を鋳しむ。初度(はじめ)に鋳たるは、少意(いささかこころ)に合(かな)わず。〔是、紀伊国の日前(ひのくま)神なり。〕次度(つぎ)に鋳たるは、その形美麗し。〔是、伊勢大神なり。〕」
ところで、最初にできた八咫鏡はその後どうなるのか。当初、これは日神の神像として日の像の鏡と命名されたが、火瓊瓊杵の降臨時に、日神は心ひそかに日前(ひのくま、ひのまえ)鏡と改名した。
もう一面の出来栄えの良い八咫鏡こそ、当初から真経津(まふつ)鏡と呼ばれて日神の天璽となり、後に天照御魂神として内宮で奉祭される神鏡なのだ。
ところで、八咫鏡はどの種類の鏡だったのか。伊勢神宮の宝鏡を調べる手立てはないものの、崇神期にこれを型に取って鋳造されたとする鏡の中心部分(径十三.七㌢)が、大和の鏡作神社で奉られている。それはまぎれもない三角縁神獣鏡(唐草文帯三神二獣鏡)なのだ。これと同型で、完璧な鏡が犬山市東之宮古墳からも出土した。
☆大和の鏡作神社(鏡作坐天照御魂神社)は、祭壇中央に天照国照彦火明を祀り、左右に石凝姥と天児屋(中臣氏の祖)を配して外区のない鏡を御神体として祀る。と同時に、次の縁起も伝える。
「崇神天皇六年に、(天照御魂神を型に取って)ここで内侍所の神鏡が鋳造された際に、試しに鋳こまれた鏡が天照国照彦火明と命名された。これが御神体の鏡である」

閲覧数351 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/03 08:52
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
takataysさん
[一言]
古代史研究家
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み