2014年08月03日(日) 

〈天孫降臨〉……彦火明の出雲・播磨遷座
④葦原中つ国の平定後、つまり二二○年頃、天孫彦火明は大己貴と一緒に出雲や播磨に移り、火神としての帝王教育を受けた。

その後、経津主と武甕槌は津々浦々まで駆け巡って残敵を平らげると、大己貴を連れて高千穂宮に凱旋した。そこでの二人は、日神と高皇産霊に日矛、日の鏡など日隈神宝、それに日の像の鏡を奉ってから、葦原中つ国平定のてん末を事細かに奏上していた。
その奏上中に、日神は大己貴の国譲り時の言動を耳にするや、そっけなく命じた。
「大己貴は天照大神の家系に入るのです」
ところが、隣の高皇産霊は彼の望みも叶えてやろうと、横から口を挟んできた。
「お前の住家には、雨漏りなどせぬよう屋根に厚い茅を葺き、入口の上には楮で作った太くて長い注連縄も張りつけなさい。そして陰ながら、そこを天日隅宮(ひすみのみや、出雲大社に発展)と名づけ、熊野櫛御気野を日隈の神として、ついで大穴持を水神として奉るように。また大己貴の希望通り、天孫の一人に葦原中つ国を治めさせるとしよう。その敷地には、五柱を祀る高殿(平安期に地震で倒壊)を建立させる」
この言は、大己貴が内々に熊野姓を語っても差支えない、と言っているに等しい。
この間、大己貴は日神と高皇産霊に平身低頭しながら不義だったことを詫びるとともに、心から服する態度をとっていた。その真心を見て取った二神は、次期大物主の位を大己貴に譲ることまで約束していた。こうすることで、両家の争う火種が自然と消滅するからだ。
大己貴は、頼りがいのある高皇産霊にもっと尽くしたいと念じたのか、
「何事も仰せのごとくに従います。この機に、彦火明の養育に加え、妃を推挙する役目もお命じください。星のごとくきらめく姫君の中から、家柄も才気も兼ね備えた妃を選りすぐってみせます」
と願い出た。大己貴が彦火明の妃選定まで買って出たのは、高皇産霊と彦火明に終生仕えると誓ったに等しい。だが、その心の内は彦火明を倭王に立てる道筋をつけた上で、高皇産霊の懐に飛び込むことにあった。そうまで考えなかった日神と高皇産霊は、彼の言葉を鵜呑みにして命じた。
「我が孫、彦火明を養育せよ。八十万の神々を率いて、ひたぶる皇孫のために護り奉れ」

暫らくすると、日神は素戔嗚や大己貴に対して、次の詔を降すことになった。
一、素戔嗚は、葦原中つ国の家督を猿田彦の児に譲る手はずを済ませておくように。
一、大己貴は伊和大神も兼ねて、我が孫の養育に励め。いずれ大物主の跡を継がせる。
その後、高千穂宮での奏上を済ませた大己貴は、出雲へ向かった。跡を追いかけるようにして、彦火明一行が太陽のごとく光輝く鏡を王船の帆柱に掲げながら、出雲稲佐の湊に入ってきた。
その後の大己貴は播磨に移って、彦火明の帝王教育に打ち込んでいた。つまり、火軻遇突智が火神の最高位や山王に昇るべく修練した課程を踏襲しつつ、政に参加できる機会を待ったのだ。
『播磨国風土記』飾磨郡、「昔、大己貴の児・火明は強情で、行いも荒々しかった。父の大己貴はこれを憂い、遁れ棄てようと因達(いだて)の神山に到り、その児・火明を水汲みにやったまま船を出した。火明が水を汲んで還ると、船が岸から離れていた。火明は大いに怒り、風波を起こして船に追い迫った。このため大己貴の船は進むことができなくなり、うち破られた」

閲覧数338 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/03 10:11
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