2014年08月03日(日) 

〈天孫降臨〉……天孫火瓊瓊杵の出現
⑥(忍穂耳に)代わって、天孫火瓊瓊杵が葦原中つ国経由で大倭に降臨し、もう一人の天孫彦火明が薩摩に天降って外敵を追い払うことに決まった。

 ●天孫火瓊瓊杵の天降り
日神と高皇産霊は、もう一人の天孫が、突如出現したことに驚いたが、
「天孫が二人に増えたのは、むしろ喜ばしいことだ」
と言って考え直す態度に出た。やがて、瓊瓊杵が利発そうだとわかると、
「忍穂耳の望みも叶えてやらねばなるまい。太子の件はゆるりと考えよう」
と言って結論を先送りした。日神は四人のまちまちな意見を頭に留め置きながら、
「いずれにせよ、天孫が皇位を継ぐのだから、二人の成長をとくと見届けてから決めても遅くはあるまい。それに大乱の鎮まった今では、現人神を担ぐ大義も乏しくなった。以後、祭壇に祀るべき天神は、御霊に限るとしよう。時期を見て、私も天神を降りる。
だからと言って、伊奘諾の命をつけ狙った天鹿児山の児(日子坐王)には、断じて皇位を継がせない。犬猿関係にある三輪と日隈についても、東と西の端に引き離しておくしかない」
彼女はあれこれ思案を巡らせたものの、あちらを立てればこちらが立たずで、これら全てを一気に解決する手立てなど見出せなかった。そこで何度も高皇産霊と相談した結果、何もかも思い通りにことが運ぶ詔を降すことができた。
一、日神は日向の天(水)勢を率いて大倭に遷座し、厳之国王朝を天(厳)王朝につくり替える。
一、頃合を見て、日神は天神の座から降りる。以後、亡き天鹿児山だけを天神と定める。
一、彦火明は天火明と名のり、瓊瓊杵、日子坐王ともども火天神の御子となれ。
一、火天神の御子はいずれも、その印しの天鹿児弓・天羽羽矢を所持せよ。
一、日高国を日前(ひのまえ)国と日高見国に二分して、天火明と火瓊瓊杵にそれぞれ継がせる。
天火明は天(日)とともに日隈勢を率いて薩摩吾田に日前国を興し、南蛮勢に立ち向かえ。
火瓊瓊杵は日高勢を率いて大倭に日高見国を立て、日前の後詰となって走り回れ。
日神はこの詔によって、大己貴の主張どころか策謀までも封じ込めることができた。だが、大己貴と大物主も然る者だった。策を弄するのが朝夕の飯より好きな二人は、これが詔だったにもかかわらず裏をかくことに熱中して、極秘に事を進めていた。その秘め事を耳打ちしておこう。
一、火瓊瓊杵を吾田に追いやり、代わって天火明を大倭に迎えよう。
一、葦原中つ国の国主で正直一徹の猿田彦にこの役を振れば、疑われることもなかろう。
一、これと並行して、日神と高皇産霊の伊勢遷座をお膳立てしよう。

二二〇年代前半、日神と高皇産霊は、天孫火瓊瓊杵に対して大倭降臨を言い渡した。
「豊葦原の千秋長五百秋水穂国も、豊葦原水穂国も葦原中つ国も海部家も、わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。皇孫、そこに天降って行って日高見国を興し、東方の守りをしっかり固めるように。天つ日継ぎを重ねることで、天壌(あめつち、天地、倭奴国王朝)が千代に八千代に栄えますようにと祈りつつ、この八咫鏡を私の御魂と思って祀り続けるように」
『古事記』、「天照大御神、(火瓊瓊杵に)詔科(みことおお)せて、『この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまう。故、命の随に天降るべし』とのりたまいき。」
『日本書紀』、「皇孫に勅して曰(のたま)わく、『葦原の千五百秋の瑞穂国は、是、わが子孫の王たるべき地なり。爾(いまし)皇孫、就(い)でまして治(しら)せ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当に天壌と窮(きわま)り無けむ』とのたまう」
※〈吾が児、皇孫〉の違いに注目。

閲覧数305 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2014/08/03 10:13
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