記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、 倭奴国と邪馬台国の生い立ち、その王朝の成り立ち、覇権を争いあった歴史を物語化。 大和朝廷以前の歴史はどうだったのかというと、縄文中期後半、五帝期黄帝の一門が北九州に渡って来て地の神を崇拝する神仙の国(神国)・那珂つ国〔中つ国、豊葦原中つ国王朝、倭奴国王朝(天地、あめつち)に発展〕を立ち上げ、ついで前五世紀に、呉の太伯や夫差の末裔が江南から渡来して、天(太陽)を称える天之(あめの)国〔倭国王朝(高天の原)、倭奴国王朝(天地)に発展〕を興したことに始まった。その百年後の前四世紀後半、蛇神を崇める越のオロチ族(越王勾践の子孫、夏后帝小康庶子の末裔)が江南から襲来して厳之(いつの)国王朝〔豊葦原中つ国王朝、伊都(いつ)国王朝、邪馬台国に発展〕を打ち立てた。これらの勢力が三つ巴になって覇権争いを繰り返してきたのです。 ご意見・ご感想をお待ちしています。 『邪馬台三国志』検証してみよう、倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 についての詳細は、 インターキャンパスのホームページ『邪馬台三国志』から、どうぞ。 |